私の考えるデータドリブン文化
データドリブンについて 現在トライ中のDATASaber、その主たる目的はデータドリブン文化を浸透させること。 基本的には、自分の務める職場あるいはコミュニティを対象に、データをみて判断してアクションを起こすを指すものと認識いる。 しかし、この「データドリブン文化」というワードについて改めて見つめてると「文化」とついてる、カルチャー。 ここで、身の回りに浸透している文化について考えてみる。職場なら「紙文化」や「EXCEL文化」などが挙げられ、私生活では「食文化」や「言語」が挙げられる。 これらがなぜ浸透しているのか?それは最初からあったから。 私が入社した時点で紙文化は浸透していて、私が生まれた時点で日本語は日本中に浸透していた。私も含め後から加わった人達はただ周りに合わせただけ。 では、 最初からない データドリブン文化を広めるにはどうすれば良いか? まず、職場など組織においての「データドリブン文化」の広め方は、ネットで検索すれば素晴らしい事例やマインドセットがそれなりにヒットする。例えば「BluePrint」がそうだ。 なので私は、もっと個人のレベルでの「データドリブン文化」について考えてみる。 データドリブンはざっくり「データをみて判断する」ことを指す。これは会社組織きだけでなく個人にも当てはまるはずだ。あまり強く意識したことはないが、普段何気なく見ている天気予報はデータドリブンな判断をしていると言えないだろうか? 朝、出かける前にテレビの天気予報を見て傘を持って行くか決めるケースを例にあげる。 Task: 今は晴れているが傘を持っていった方が良いか知りたい ⬇️ Get data: 気象衛星から取得したデータを気象予報士が分析 ⬇️ ChooseVisualMapping: テレビ局が1時間ごとの予報を図解付きで報道 ⬇️ View data: 私は視聴者としてそれを見る ⬇️ Develop insight: 今は晴れているけど、午後から雨と言う情報を得る ⬇️ Act: 傘を持って出かける ちょっと無理やりだが、ビジュアルアナリティクスのサイクルに当てはめると上記のようになり、私はViewerとしてActionを起こしている、すなわちデータドリブンな判断をしていると言える。 これ